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著者に聞く!

『画家として、平和を希う人として
加納辰夫(莞蕾)の平和思想』
著者・加納佳世子先生に聞きしました

父莞蕾が求め続けた平和
その思いを未来へ伝えるために

『画家として、平和を希う人として 加納辰夫(莞蕾)の平和思想』に、加納佳世子先生のお父様である加納辰夫(莞蕾)氏の平和思想を未来に伝え、その生き方を書き残して、後の世につなぎたかったとありました。本にするきっかけとは何だったのでしょうか。

    
 美術館に来られる方々とお話をするたびに、平和を求めることは昔も今も変わらないのだと思えてきたのです。「平和を築いていくのは、今を生きる私たちである。そして、その平和を築いていくためには一人一人の思いが大切である」と実感していったことが本にしたいと考えたきっかけですね。
 2015年、日本は戦後70年を迎えました。戦争のない世の中を求めて、私たちは今一度考えねばならないと思っています。

 

本書を読んで、加納辰夫(莞蕾)氏は、そのまっすぐな思いと行動力で、とても大きなことを成し遂げられたのだと感動しました。と同時に、平和について考えさせられました。

 加納莞蕾の娘として、父親の人生、その生きざまを本に書いたことは、その通りなんです。
 しかし、この本を書くにあたっての私の使命は、画家としての莞蕾が戦後を生き抜いていく中で、平和を築いていこうとするその思想を後世の人たちに伝えるためだと思っています。

 

加納辰夫(莞蕾)氏の想いや願い、活動は、長い年月を経て成し遂げられ、未来に引き継がれようとしています。これらを一冊の本にまとめることは、とてもたいへんな作業だったのではないでしょうか。

 ひとりの人が思想を確立していくには、長い年月と多くの体験人との出会いなどさまざまな事柄が影響すると思います。莞蕾の想いも一夜にしてできたものではありません。私が生まれていなかったころのことを書くには、かなりの調査を要しましたね。
 また、本にするにあたり、キリノ大統領の赦免を一つのモラルとし、世界の平和に努力していこうとした莞蕾の想いを強く訴えたいと思っていました。特に力を注いだところですね。

 

家族や関わりのあったさまざまな方々からお話を聞き、さまざまな記録を参考にされたんですね。加納辰夫(莞蕾)氏の姿に触れていく中で、ご自身はどのようなことを感じておられましたか。

 周囲の方々のお話(事実関係や感じられていたこと)を聞き、今まで知らなかった父親の想いに迫ることができました。
 『どうしてそうなったのか』、『その当時は、何があったのか』と、さかのぼって考えなければならないことがたくさんありましたね。多くの方の話や資料をまとめることにより、父親の生き方がやっと理解できたといっても過言ではありません。
 また、併せて家族の思い、そして私自身の生き方についても考えることができました。   

 

本書では、家族や友人といったさまざまな方たちの思いが、加納辰夫(莞蕾)氏の行動を支えていたように感じました。加納辰夫(莞蕾)氏は、そうした思いをどのように感じておられたのでしょうか。

 父莞蕾は、亡くなる前に「豊かな人生だった」と言ったそうです。
 そのとき、そばにいた姉は、「お父さんの豊かさとは、周りの人たちに支えられていたということだね。きっと」と言っていました。
 そういえば、私の知る限り、父の周りには友人が絶え間なく訪ねていました。「周りの人たちに自分の想いを話し、うなずいてもらう」、これが大きな力になったのだと思います。
 そして、そのことを一番わかっていたのが、莞蕾だったのです。

 

さまざまな人々、そして加納辰夫(莞蕾)氏。今、振り返って、どのように感じておられますか。

 私はよく思い出します。夕方、ゆっくりしたときに私によく言いました。
 「義を見てせざるは勇なきなり」(人としてなすべきものだと知りながら、それをしないことは勇気が無いからだ)と。
 父の生き方は、まさにこの言葉のままだったと思います。
 そして、「迷ったときには、後に後悔のないだろう方を選ぶのだ」と。

 

永井均先生は、解説で「加納画伯は行動の人である」書いておられましたね。信念を貫き、まっすぐに行動することは、現代でも難しい気がします。今、大切なことは何でしょうか。

 自分の思いと行動は、一致しなければなりません。
 思いはあっても、時に行動しにくいこともあるでしょう。お互い、同じ思いの人とつながり、自分の思い、考えに自信を持つことが大切ではないでしょうか。

 

加納辰夫氏の平和思想やその活動を通して、平和への思いやメッセージが今も届いているなと実感されるときは、どんなときでしょうか。

 父莞蕾の実家の後に美術館ができたことは、莞蕾の平和への想いやメッセージを伝えていくうえで、とても良かったと思っています。この地域の保育所や小学校、中学校を始め、地域の人々が平和への思いを持ち、またその思いが故郷への思いの一つとして認識されてきているように感じます。2015年、この地域のイルミネーション(12月)のテーマは、『平和』だったんですよ。

 

平和への思いが地域を通してひとつになっていく。それは、うれしいことですね。
もし、加納辰夫氏が生きておられたら、今、私たちに何を伝えたいと考えておられるでしょうか。

 おそらく、「戦争とは何か、平和とは何か。もっとみんなで学ぼう」だと。そして、「一人一人がしっかりと自分の意見を持つことが大事だ」と言っているでしょうね。

 

 

そうですね。一人一人がきちんと考えていかなければいけませんね。
先にお話が出ましたが、現在はご夫婦で『加納美術館』の運営にあたられているそうですね。美術館では、加納辰夫(莞蕾)氏の「未来につながる平和への思い」をどのように紹介しているのでしょうか。
          
   来館してくださった方々には、常にお話をするようにしています。決して郷土の偉人のような話はしていません。
   「莞蕾の願いは、今の私たちに訴えているのです。これからも未来にも向かって生きている限り、その想いを訴えていかなければならないのです」と伝えています。

 

加納辰夫(莞蕾)氏の遺志を継がれて、その平和思想を未来に向けて、これからも伝えていかれるのですね。今後の展望やこれからの夢など、ぜひお聞かせください。

 加納辰夫の平和思想は、恒久的に認められ、求められなければならないものだと思っています。その骨子のところにフィリピン大統領の倫理的、道徳的モラルがあるのです。私はこれを引き継ぎ、できるだけ多くの方に話をしていきたいと思います。
 今年度島根県中学校の道徳の副読本にも掲載されるようです。
 これからの平和を築くべき若者たちのもとに辰夫の想いが届くことは、大きな意味のあることとして喜びに堪えません。

 

最後に、初めて『画家として、平和を希う人として 加納辰夫(莞蕾)の平和思想』を手にしようかという読者の方々に一言お願いいたします。

 一人でも多くの方に読んでいただき、平和が基盤となるような生き方を……と願っています。
 子どもたちの人権を守ること、そして平和を築こうとする子どもたちを育てること。この前向きな考え方が基盤となるような社会を望んでいます。

 

平和への思いと現状を突き動かす力。ただただ信念を貫き通された加納辰夫(莞蕾)氏とその平和への思いを引き継ごうとする加納佳世子先生の強い思いに心打たれました。
貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

プロフィール

加納佳世子(かのう・かよこ)

安来市加納美術館館長。学芸員。
1944年11月京城(ソウル)に生まれる。1945年9月島根県能義郡布部村(現。安来市広瀬町布部)に家族と共に引き揚げる。広島大学教育大学部卒業。大阪府小学校教諭、薫英女子短期大学講師を歴任。2012年6月より公益財団法人加納美術振興財団理事。

安来市加納美術館 

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