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本読みのための 大阪まちある記 〜活字メディア探訪

第12回 心斎橋は日本一の本屋街だった(2) ――元祖・大阪の本屋さん

道頓堀のようにビルの壁面がデジタル式の看板と化すのも大阪ならば、ビルの中に昔の街が現れるのもまた大阪のおもしろいところである。

大阪天満宮の脇から北へ。日本一長い「天神橋筋商店街」をひたすら進むと、その最終地点に天神橋筋六丁目駅の3番出口と直結した大きなビルがある。その上層階にある「大阪くらしの今昔館」(通称住まいのミュージアム)は、江戸時代の大阪の町並みを再現した人気観光スポットだ。

しかも、その力の入れ具合が徹底している。ここは複数の専門家による学術的且つ緻密な考証のもと、実物大の町(つまり一棟一棟の建物)が、職人の手により伝統工法を駆使して建設され、ビルの中に収められているのだ。

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模型のように見える通行人はミュージアムへの来館者たち。


「大坂町三丁目」の木戸門をくぐると、ここは幕末の天保年間。通りの両側には、風呂屋に建具屋に小間物屋......。瓦屋根の商家がぎっしりと軒を連ねて、平日の昼間から通行人であふれかえっている。町は江戸時代でも、通行人は浴衣を着た中国人の観光ツアー客ばかり。知らない過去の町どころか、周りの人たちの話す言葉も分からず、気分はすっかりおのぼりさんだ。

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 浴衣姿の中国人観光客たち。町を案内してくれる日本人のボランティアガイドもいる。




江戸時代の本屋「文海堂」へ


人形屋と棟続きになった2軒長屋の奥に今回の目的地、紺色の暖簾に大きく白地で「本」の字が浮き出た店先が見えてくる。
吉文字屋歌助が営む、本屋「文海堂」。神戸の海文堂とややこしいが、'文章の海'の文海堂。復元のもとになっているのは、役者絵の発行元として名高い綿喜こと綿屋喜兵衛(心斎橋筋の塩町北西角)の引札(広告ちらし)や、『摂津名所図会大成』の中の挿絵「心斎橋通書肆」といった心斎橋筋の本屋の外観イラスト、そして心斎橋筋の本屋の様子を記した当時の大坂案内記(観光ガイドブック)の数々である。

これまで本の中の挿絵や文章でしか知ることの出来なかった江戸時代の本屋さんが、建物(それも店先だけでなく一棟まるごと)から商品陳列・本の種類まで総合的に復元されて、かたちあるものとして蘇ったのが、ここ本屋「文海堂」なのだ。

――と、ここから本屋レポートに入っていく前に、一つだけことわっておきたいことがある。
「大坂町三丁目」の町並み展示は、「夏祭り」と「通常」の年間二期制で町(各商店)のしつらえを入れ替えている。「営業中の本屋」仕様の通常展示は、毎年9月から3月の約半年間。今回の訪問時は夏祭りの展示期間だったため、本屋の商品は奥へと追いやられていた。そこで、本屋のしつらえが分かる写真をミュージアムの図録で一部おぎなっている。
では、本屋レポートを進めよう。

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 人形屋の奥に本屋「文海堂」がある。(図録より)


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本屋の外観。江戸時代の絵図ではどれも店先に人が群がっている。(図録より)


 
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夏祭りのしつらえをした本屋の外観。女性が座っているのは、店先に商品を並べる
開閉式の「ばったり床几」。
 

気づき1 文海堂では新刊本も古本もあらゆる出版物を販売する
まず、実体ある江戸時代の本屋(絵図の復元)を目にすると、見過ごせないのが、どこに目を留めればよいのか迷うほど、店先に看板の文字情報があふれていることだ。表から見える文字を出来る限り書き出してみる。
一.行灯式の看板には、面ごとに「本 浄瑠璃本 古新本」「本 古本売買 吉文字屋歌助」の文字(心斎橋筋の本屋の軒下にはたいてい、このような白張の看板が置かれていたという)
一.暖簾には「本」と「角吉」(□の中に吉の字)の店印
一.袖看板には「唐本和本 萬本類画草紙(艸紙)処 吉文字屋歌助 文海堂」の文字
一.柱には「大安売」と書かれた木札
一.ばったり床几(揚げ見世)の上に置かれた出し箱(看板を兼ねている)には、面ごとに「書林」「古本」「和本」「文海堂」の文字......
これらの文字情報を総合すると、文海堂には新刊本に古本、和本に唐本(中国で刊行された本)、浄瑠璃本に草紙と、あらゆる本が揃っていて、その上大安売をやっている――ということになるだろうか。

そう、江戸時代の本屋の特徴として、本屋は出版と販売を兼ねていただけでなく、一つの店で新刊本も古本も両方取り扱っていた。
加えて江戸(東京)の本屋は、硬派な本を扱う「書物屋」(物の本屋、書林、書肆などともいう)と浮世草紙や浮世絵など庶民向けの本や一枚物を扱う「草紙屋」(絵双紙屋)に分かれていたが、大坂の本屋では硬派な本も扱う傍ら、店先では役者絵を売った(これは単純に大坂の特徴というより、道頓堀と心斎橋の立地性が大きく影響しているのではないだろうか)。

商品陳列の方法も、江戸や京都の商いが良い本を奥へ引っ込め、客の求めに応じて手代が奥の蔵から取り出してくるスタイルだったのに対し、大坂はどちらかというと表に商品をたくさん並べて、賑やかさを演出する傾向があったという。



「文海堂」の店内へ

「この橋筋といふは、南は道頓堀戎橋にして浪花(なにわ)第一の繁華なれば、昼夜を分たず往来街(ちまた)に充満せり。(省略)なかんづく巨商の書肆多く、店先には新古の諸書をならべ、棚箱には数万の巻冊を詰めたり」(『摂津名所図会大成』より)

心斎橋筋には大きな本屋が多く、店先には新刊本も古本も様々な本を並べ、店内の棚には数万の本を取り揃えている――。

文海堂は『摂津名所図会大成』に書かれているような、心斎橋筋に多くあった「巨商の書肆」とは違って、間口が狭く、店主の家族4人(店の奥で暮らしている)と奉公人2人で店を回している比較的小さな本屋である。

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本屋の内部。手前に役者絵が並んでいる。(図録より)


大戸が開け放たれて、外からも中の様子がよく見渡せる店の内に入ると、手前はにはカラフルな一枚摺りの役者絵が、種類ごとに箱に入れられ売られている。
その奥には帳場と火鉢。わずか4.5畳の小さな店の間の壁面いっぱいに設置された大きな本棚には、様々な種類の和書が積み上げられている。

「様々な種類」と書いたが、実際のところ本のタイトルまでは分からない。なぜならこの時代の本は、今みたいに派手な装丁ではなく、背表紙にタイトルが書いてあるわけでもないからだ。
そこで、本の並べ方は必然的に、今とは大きく異なる。


気づき2 本は本棚の中で表紙を上にして積み上げていく
私たちが本屋で目にするスタンダードな陳列法は、「背差し」(背表紙を正面にして本棚に本を並べる)、「面陳」(表紙を正面に向けて本棚に本を並べる)、「平積み」(台の上に表紙を上にして本を並べる)の3つが基本になっている。一方、文海堂では積読本のように、表紙が上になるようにして、上へ上へと本棚の中に本を積み上げている。このような本の並べ方は、和書を扱う古本屋では見かけても、一般の本屋では見かけることがない。


 

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店の間の壁に設置された本棚。本の積み方と「書名を綴った半紙」に注目。
 
 
気づき3 店には一部の商品しか並べない
恐らく客は店の間(畳の部屋)に上がらずに、店員と会話を交わしつつ、客の要望に応じて店員が本棚や奥から本を取り出していたのだろう。
江戸時代の本屋では、店に収まりきれない本は別の場所(奥の蔵など)に保管した。これは取り扱う商品をすべて店内に並べようとする、今の大型化した書店と真逆の発想だ。しかし、今も公共の図書館では(そしてネット書店でも)当たり前に行われている。

図書館では膨大な蔵書を抱えるが故、発売から時間が経過した本は書庫に仕舞われて、求めに応じて職員がカウンターまで持ってきてくれる。あらかじめ探しているテーマが分かれば、希望した本のまわりに置かれた関連本も書庫の中から一緒に取り出してきてくれることもある(そういった本はタイトル検索では引っかかりにくい)。

ここで、江戸時代の心斎橋筋の本屋の様子を『摂津名所図会大成』より引用する。
「(本棚には膨大な本があるので)朝より注文を競(せ)る小者かまびすしく(さわがしく)、版刷り蔵に入りこめば、摺本背負ふて出る表紙屋あり。表には諸国へ送る本櫃(大型の本箱)の荷つくり、内には注文の紙づつみ。
帳合する番頭、紙選りする新参、客を迎える手代。あるいは古写本さがす好事の客あれば、洒落本を買ふ通人あり、経文を見る儒者、仏書ねぎる出家。
そのほか神書・歌書・俳書・詩文・随筆・物語・医書・軍談・絵入りの読本・字引・節用・百人一首・女用文章・諸礼式・児童教訓・石刻法帖・唐様和様の手本物まで、求めに応じてひさぐ(商いをする)が故に、ひねもす(朝から晩まで)店の暇(いとま)なく、書(ふみ)の林の繁れるは文運文華の開くるまま、書を読む人の多(さは)なるにこそ」
まず、客として「仏書ねぎる出家」というのがおもしろい。
それはともかく、本の出版を手がけながら、「そのほか神書・歌書・俳書・詩文・随筆・物語・医書・軍談・絵入りの読本・字引・節用・百人一首・女用文章・諸礼式・児童教訓・石刻法帖・唐様和様の手本物まで、求めに応じてひさぐ(商いをする)が故に、ひねもす(朝から晩まで)店の暇(いとま)なく......」と江戸時代の心斎橋筋の本屋の記述を読むからに、繁盛しているのは嬉しいことだが、やることが多くて忙しそうだ。

 
気づき4 大衆食堂のメニュー同様、店の至るところに新刊広告を貼り出す
文海堂にやって来て、最も新鮮に映ったのが、どんな本があるのか一目で分かるように、店の中には(絵図では一部が通りからも見える状態で)まるで電車の中吊り広告みたいに、新刊案内の広告(書名を綴った半紙)が天井の鴨居から四方八方ぶらりと貼られていることだ。
例えるならば、大衆食堂で壁じゅうにベタベタ貼られたメニューを見ながら料理を注文する、まさしくあの食堂スタイル(居酒屋でもいい)の本屋版。これら店内の新刊広告を見ながら、「これはどんな本ですか?」と店員に聞きつつ本を買うイメージを抱いたのだが、実際のところどうだったのだろう。

 

江戸時代中期のベストセラー・ランキング

この先、商品解説まではじめようものなら切りがない。本屋レポートはこれくらいで終わらせておいて、最後に江戸時代の本の売れ筋ランキングを紹介しておきたい。
大坂の出版界が成熟した後の(つまり主要なジャンルは一通り出揃った上での)、江戸時代中期のジャンル別ベストセラーは、以下のとおり。

第1位 西鶴作品を筆頭とする浮世草子(西鶴本の初版のほとんどが、心斎橋筋を中心とした大坂の本屋から出版された)
第2位 町人向けのハウツー物(重宝記と呼ばれる実用書で、重宝記のブームは西鶴本を数多く出した大坂の本屋森田庄太郎発行の『家内重宝記』にはじまる)
第3位 俳諧本
(明和期1764年から1771年頃の統計。『江戸の本屋(上)』より)

1位と2位は、今時の売れ筋とそれほど大きく変わらない。
しかしその後、出版の中心地が江戸に移ったことで、大坂の本屋からベストセラーが生まれる状況は激減。それでも、大坂は商売っ気あふれる商人の町である。

大坂の本屋は自社本に加えて、京都や江戸で出版された本の販売や既刊本の板木(版権)の買い取り、地方への販売網の拡大などで商いを大きくし、幕末になっても心斎橋筋は『街能噂』にあるように、江戸っ子が訪れて「これだけ本屋が集まった場所は江戸にはない」と言わしめるほどの繁栄ぶりを続けるのである。


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 日没後の「大坂町三丁目」。看板に明かりが灯る。

 

 



参考文献
大阪市立住まいのミュージアム編『住まいのかたち暮らしのならい 大阪市立住まいのミュージアム図録』(平凡社)2001
橋爪紳也監修『心斎橋筋の文化史』(心斎橋筋商店街振興組合)平成9年
駒敏郎『心斎橋北詰 駸々堂の百年』(駸々堂出版)平成9年
鈴木敏夫『江戸の本屋(上)』(中公新書)昭和55年

プロフィール

鈴木 遥(すずき・はるか) ノンフィクション作家。1983年生まれ。神奈川県平塚市出身、大阪市在住。
学生時代、全都道府県120地域以上の古い町並みをまわり、京都、奈良を中心にさまざまな町並み保存活動や建築物の記録活動に携わる。出版社勤務を経てフリーランスに。
電信柱の突き出た不思議な家と97歳ミドリさんの秘密を追ったデビュー作
『ミドリさんとカラクリ屋敷』が第8回開高鍵ノンフィクション賞の次点に。
今年5月に文庫版(
http://www.amazon.co.jp/dp/4087453200)が集英社文庫より刊行された。
共著『次の本へ』。ブログ
http://karakuri-h.seesaa.net/

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