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本読みのための 大阪まちある記 〜活字メディア探訪

第11回 心斎橋は日本一の本屋街だった(1) 「本の町」の過去と今

「ミナミで一番エンターテイメントな本屋さん」がキャッチコピーのTSUTAYA EBISUBASHIから正面に架かる戎(えびす)橋を渡ると、心斎橋駅へと北に向かって、人を吸い込むチューブのように心斎橋筋の長いアーケードが延びている。

 

振り向くと、デジタル式にリニューアルされたグリコの看板(デジタル・サイネージ)。そして見渡す限りの活字群。
ここ道頓堀と心斎橋をつなぐ戎橋からの風景は、あらゆるビルの壁面が巨大ディスプレイ仕立てで、街そのものが活字メディアで成り立っているといっても大げさではない。

 

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戎橋の上から見た「道頓堀グリコサイン」

 

それが戎橋を渡り終えると、街の様子は一転。道頓堀川から北の心斎橋筋は、派手な看板の代わりに、店先の商品でウインドウショッピングを楽しむ――心斎橋をぶらぶらすること、略して「心ぶら」と称される――ファッション街へと様変わりする。中でも「大丸心斎橋店」は、400年近く同じ場所で商いを続ける'心斎橋の顔'である。

 

そんなファッション街の側面ばかりが浮き立つ心斎橋筋をさらに深堀りしていくと、ここは「江戸時代は本屋街だった」という新たな側面が浮かび上がってきた。
本当だろうか? 今の商店街を見る限り、あまりの変貌ぶりに、にわかには信じ難い。

 

 

江戸時代の本の商い


道頓堀の側に立って、心斎橋を見てみよう。
上方浮世絵館(第8回記事参照)の4階展示室で見た「大坂浮世絵マップ」によれば、江戸時代に道頓堀の役者絵(浮世絵)を精力的に発行していた版元(出版社であり本屋を兼ねていた)の所在地は、綿喜(綿屋喜兵衛)に本清(本屋清七)に天喜(天満屋吉兵衛)と、ほとんどがこの心斎橋筋に集中している。

 

役者絵に限らず、役者評判記に芝居番付(宣伝用の印刷物)、浄瑠璃本に歌舞伎狂言本と、道頓堀から生まれた数々の出版物を制作し販売し続けてきたのは、心斎橋筋に店を構えた数多くの本屋だった。

 

そう、これまで本の発行元(版元)を「出版社」と表現してきたが、これらは江戸時代でいうところの出版と販売の両方を兼ね備えた「本屋」である。江戸時代の本の商いは、「本屋」が出版社として自ら本を発行し、それを店に並べて販売していたのだ。

 

芝居興行の絵看板や関連本の挿絵を心斎橋界隈に住む絵師たちが描く。芝居のコンテンツを心斎橋の本屋が出版化する。はたまた心斎橋で売られている書籍のコンテンツを道頓堀の劇場が芝居用に脚本化する。客は道頓堀で芝居鑑賞を終えたその足で、心斎橋の本屋に立ち寄り、ひいきの役者の絵を買って帰る......。

 

戎橋を介して道頓堀と心斎橋が向かい合うこの距離感。'生活の場である船場'と'町人たちの娯楽の場である道頓堀'をつなぐ主要道としての心斎橋筋の立地性。
今の心斎橋筋からは想像ができないけれど、江戸時代の心斎橋筋は、本屋がこの場所に集まってくるのにふさわしい様々な条件が揃っていたのだ。

 

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建て替え工事中の大丸本館の壁は、ギャラリーになっている

 

 

江戸っ子の見た心斎橋筋


そのことを示す様々な書物がある中で、とりわけ頻繁に引用されるのが、天保6年(1835)に刊行された『浪花雑誌 街能噂(ちまたのうわさ)』。江戸っ子2人が案内人を引き連れ、会話を繰り広げながら大坂の街を歩き回る、江戸っ子目線の大坂案内記である(漢字や片仮名を一部ひらがなに換え、カッコ()で内容を補足している)。

 

千長 (心斎橋筋にある)唐物町の河内屋太助(当時の大書店)という書林(ほんや)へ。板下(はんした)をとどけてくれろといって。包物を頼まれやしたが。唐物町というは何処でござりやすね。
鶴人 心斎橋筋のたいそう書林(ほんや)のある処がござりやす。今通っておいでなすったらふ。
千長 なるほど本屋の沢山あるところを通って来やした。もしたいそうな書林(ほんや)でござりやすね。江戸には却(かえ)ってあのようにべたべたと本屋の軒をならべているところはござりやせん。
鶴人 さやうさ。江戸ではまず通町筋から芝の神明町だがこれも所どころでござりやす。一町に四、五軒ともあるところはござりやすめい。(省略)心斎橋筋は五、六町(約550?650メートル)ばかりが内に、四、五十軒もありやしょう。

 

心斎橋筋には本屋が四、五十軒も集まっており、これだけの規模の本屋街は江戸にはない――。作者は江戸在住の医師であり作家の平亭銀鶏。よって、大坂人による大坂絶賛本では決してない。

 

もちろん、当時の江戸にも日本橋には大きな本屋街があった。しかし『街能噂』によれば、日本橋に集まっていたのは本屋は本屋でも露店のような販売専門の簡易店舗が中心で、心斎橋筋のように出版業を兼ねた本屋が集まっているわけではなかった。つまり心斎橋筋は江戸時代、江戸にも類を見ない「日本一の本屋街」だったというわけだ。

 

 

スタンダードブックストア心斎橋へ


ここから先、いかに心斎橋筋に江戸時代を代表する本のヒットメーカーが集まっていたか、文献をたどればいくらでもその事例は挙げられる。
しかし、今の心斎橋筋に本屋街だった当時の面影は残っていない。あえて本屋と言うことならば、商店街の中にはアート系の品揃えでファンの多い「心斎橋アセンス」がある、ということぐらいか(現在、ビルの工事で閉業中)。

そしてもう一つ、今の心斎橋の本屋を語るに素通りできないのが、「スタンダードブックストア心斎橋」だ。大阪の人に限らず'本好き'の間で頻繁に名の挙がる、'大阪で最も'といっても過言ではない話題の本屋である。

 

 

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大阪在住のコピーライターが運営する、本屋さん紹介サイト「読読(よんどく?)」では、心斎橋の本屋マップ(http://yondoku.jp/?a=shoplist&map=2)をダウンロードできる。この記事を読みながら場所を確認するのにも、実際に歩いて回るのにも非常に便利!

 

 

心斎橋筋と三津寺筋の十字路――江戸時代に役者絵を発行していた本屋・天満屋喜兵衛(道頓堀戎橋三ツ寺角)があった――から西へと徒歩数分。三津寺筋を進むと、御堂筋(東の心斎橋筋と並行して走る大通り)を越えた先に、スタンダードブックストア心斎橋の入居するビルが見えてくる。

 

キャッチコピーは、「本屋ですが、ベストセラーは置いてません。」。取次(本の問屋)から自動配本された新刊本を店頭に並べる(必然的に話題の売れ筋本がメインとなる)一般的な本屋と違って、店で選書を行い一点一点取り寄せた本と雑貨で構成されているセレクト書店だ。

 

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ブックカバーと同じ赤を基調としたスタンダードブックストア心斎橋の外観

 

中に入ると、広々とした空間に本と雑貨が入り組みながら、センスよく陳列されている。小さな出版社の本が目立つ。「サブカル」「映画」「本についての本」......。なんとなくテーマに沿った本ごとに、文化の島をつくって、それを巡っていく感じ。ゆるやかに本のジャンルが変化していき、少し離れた本棚に行くと全く違う文化に行き当たる。
この本屋を説明するには、'本の島々をクルーズする'という表現が個人的に最もふさわしい。

 

 

カフェ併設の「アメリカの本屋」


さて、かつて本屋街だった心斎橋の今を追ってここへ来た立場として、やはり気になるのは「なぜ心斎橋を選んだのか」ということだ。
ずばりその理由を経営者の中川和彦さんに訪ねてみると、「たまたまここを紹介されたから」とあまりに現実的な、しかし物件を選ぶ動機としては至極まっとうな答えが返ってきた。

 

中川さんは、中学生の時に創刊された雑誌「POPEYE(ポパイ)」に強い影響を受けてきた。その頃から「アメリカ村」をぶらぶらするようになる。
そう、ここスタンダードブックストアのある御堂筋から西側は、同じファッション街でもアメ村こと「アメリカ村」と称される、若者カルチャーの発信基地なのだ。

 

心斎橋筋の近くという立地柄、このエリアには1970年代頃から若いクリエイターが集まり、アメリカから輸入した古着や中古レコードなどを販売。1980年代には「アメリカ村」の名前が定着し、ファッションに音楽にデザインと、関西を代表する若者の街――といっても、歴史を重ねるごとにかつて若者だった世代が増えて、'アメ村カルチャー'の構成年齢は幅広い――として独自の進化を遂げてきた。

 

本屋を立ち上げるにあたって、この物件を見た中川さんの第一印象は「広すぎる!」。しかし、学生時代から馴染んだ町だったこともあって、ここを借りることに決定。2006年にスタンダードブックストア心斎橋はオープンした。

 

「僕らの世代はアメリカ好き。床にカーペット敷いたり、天井の蛍光が直(じか)付けじゃなかったり(ダクトレールを使ってペンダントライトを吊るしている)、アメリカの本屋は意識してます」

 

床や天井にまで、そのようなこだわりがあったとは。それより中川さんの話で着目すべきは、この本屋のDNAにアメリカがあるということだ。
地下へ降りると、店の地下一階の本コーナーからさらに奥へと、カフェスペースがつながっている。カフェでは未購入の本を持ち込んで、飲食をしながら読書が出来る。本やカフェで時間潰しもできることから、心斎橋の待ち合わせスポットにもなっている。
この「カフェ併設の本屋」というのもまた、アメリカの本屋から取り入れたスタイルなのだそうだ。

 

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本屋とは別に設けられたカフェの入口。中で本屋と直結している

 

さらにカフェでは、本を出版した話題の著者を招いてのトークイベントも頻繁に開催されている。スタンダードブックストアが注目される理由の一つがここにあり。どんなゲストがやって来るのか、つねにアンテナを張っているクリエイターたちは非常に多いのだ。

 

そんな心斎橋取材の最中、このカフェを待ち合わせ場所に指定した漫画アーティストの知人は、この連載で活字メディアをテーマに取材をつづける私に、カフェオレを飲みつつ一言放った。
「新聞女(しんぶんおんな)さん知ってます? お店に一度行くといいですよ」

 

そう、新聞紙のドレスを身にまとい、新聞アートで世界的に活躍する「新聞女」さんの経営する立ち呑みギャラリー「バー新聞女」が、ここから南のなんば駅近くにあるのだ。
ここまでくると、いくら活字メディアといえども本屋を軸に心斎橋の過去と今をたどる今回のテーマからは大きく脱線すること確実なので、ここはその存在を書き留めておくのみで、次へと進むことにしよう。

 

 

アメリカ村のブック・カルチャー

 


スタンダードブックストアのすぐそばには、御堂筋沿いの入口に「books」「sats」「bar」......とプレートを並べた何やら興味をそそられる店がある。
「ブルックリンパーラー大阪」。全国展開するブルックリンパーラーの大阪店だが、店名にあるように、コンセプトはアメリカの文学作品にも数多く登場するというニューヨークのブルックリン区だ。

 

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地下階段の先にブルックリンパーラーの店舗がある

 

「books」の文字に引き寄せられ、何の店だか探ってみれば、またしてもアメリカ! ここは食や音楽や本を通じてブルックリン・カルチャーに触れることのできる「レストラン」であり「ライブバー」であり「本屋(もしくはブックカフェ)」でもあるコンセプト型複合飲食店。公式ホームページを覗くと、飲食店らしからぬ、トップにはブルックリンパーラーがお薦めする本の書評が並んでいる。

 

店の本棚を手掛けるのは、ブック・ディレクターの幅允孝氏。スタンダードブックストアと同じく、食事をしながら読書をしたり、気に入った本を購入することができる――。なんだか、スタンダードブックストアの個性がアメリカ文化と溶け合って、このような本屋こそアメリカ村の中でのスタンダードに思えてきた。

 

さらに、アメリカ村には2つの本屋があるので、せっかくだから回ってみよう。
古着屋やレコード店など約2500店が集まっているというアメリカ村の中でも、中心地の三角公園の界隈は、ひときわアメリカ的密度の濃いエリアである。

 

まず、大きな「本」の字の看板が遠くからでも目立つ「アセンスアメリカ村店」へ。やはり「ベストセラーは置きません」の精神で、二階の「"読む"を愉しむ」と三階の「"見る"を愉しむ」のコンセプト別に、休業中の「心斎橋アセンス」の分もファッションやアート系書籍を充実させた、アメ村ならではのセレクト店だ。

 

つづいて「ヴィレッジヴァンガードアメリカ村店」へ。分かりやすく本屋であるアセンスに対して、ここは本屋だと事前知識がなければ、確実に服屋か雑貨屋だと見間違えて素通りしてしまいそうな店構えだ。

 

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ヴィレッジヴァンガードアメリカ村店。間口は狭いが、中は予想外に広い

 

ヴィレッジヴァンガードのコンセプトは、独自のセレクト本とCDとおもしろ雑貨を店内に散りばめた「遊べる本屋」。全国に数百店舗、大阪市内だけでも11店舗。他のチェーン書店と比べて圧倒的な店舗数を誇るだけに、正直ここはその一つということぐらいにしか考えていなかった。しかし、そもそもヴィレッジヴァンガードの名は、ニューヨークにあるジャズクラブからきているという。

 

またしてもアメリカ。確かに本屋っぽくない自由奔放なヴィレッジヴァンガードの個性は、アメリカ村の雰囲気とよく溶け合っている。
それだけに。ここは中に入ると、ショッピング施設の一テナントとして入っているタイプのヴィレッジヴァンガードとは様相が異なり、店の奥へ奥へと(とにかく店内は奥に長い)、本と雑貨のジャングルを分け入っていくようなカオスな世界が展開されていた。

 

パンチが効いている。ただただ圧倒......。

 

もはや心斎橋の歴史的な文脈をすっとばして、御堂筋を隔てたアメリカ村には、スタンダードブックストアだけに留まらない、アメリカの精神を受け継ぐ新たなブック・カルチャーが根付いているのだ。
心斎橋筋と地理的な距離は近いのに、文化的にはずいぶん遠いところまで来てしまったようだ。では、心斎橋筋の本屋文化(こちらは日本語がしっくりくる)を辿るには、どこへ向かえばいいだろう。

 

'元祖・心斎橋の本屋'ということなら、ぜひとも訪れるべき場所が一つある。
時間軸を江戸時代に再び戻すことにしよう。

 

「大坂に文海堂という書林(ほんや)がござりやす」
「それは何処でござりやすね」
「天満天神から天神橋筋を通って......」(タイムスリップ――)

 

つづく。

 

 

 

 

参考文献
橋爪紳也監修『心斎橋筋の文化史』(心斎橋筋商店街振興組合)平成9年
駒敏郎『心斎橋北詰 駸々堂の百年』(駸々堂出版)平成9年
吉川登編『近代大阪の出版』(創元社)2010
アメリカ村商店会公式サイト
http://americamura.jp/jp/history.php


 

プロフィール

鈴木 遥(すずき・はるか)

ノンフィクション作家。1983年生まれ。神奈川県平塚市出身、大阪市在住。
学生時代、全都道府県120地域以上の古い町並みをまわり、京都、奈良を中心にさまざまな町並み保存活動や建築物の記録活動に携わる。出版社勤務を経てフリーランスに。
電信柱の突き出た不思議な家と97歳ミドリさんの秘密を追ったデビュー作
『ミドリさんとカラクリ屋敷』が第8回開高鍵ノンフィクション賞の次点に。
今年5月に文庫版(
http://www.amazon.co.jp/dp/4087453200)が集英社文庫より刊行された。
共著『次の本へ』。ブログ
http://karakuri-h.seesaa.net/

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