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本読みのための 大阪まちある記 〜活字メディア探訪

第10回 芝居と出版のメディアミックス(4) 劇場型メディアの最前線を追う

道頓堀裏手の法善寺横丁は、織田作之助の小説によって、昭和初期頃からこの名が定着したという。この法善寺横丁の一画で、寄席経営者の吉本吉兵衛・せい夫妻が大正4年に演芸場「南地花月」をはじめた。

 

吉本夫妻が経営する花月。それだけ聞いて、ピンとくる人もいるだろう。
南地花月の興行は大きな成功を収め、わずか数年の間に'大阪一の演芸場'へと発展。そう、花月を中心に寄席のチェーン化で規模を拡大していった吉本興業は、専属芸人をプロデュースすることでさらなる領域へと突き進み、この地で独自の漫才やお笑い文化を確立させた。

 

道頓堀から南へ、法善寺の脇に延びる千日前通り(法善寺の千日参りに由来する)の繁華街をひたすら進むと、吉本興行の専門劇場「なんばグランド花月」の大きな建物(本社も置かれた吉本の本拠点)が見えてくる。

 

お初と徳兵衛が心中に向かう『曾根崎心中』の冒頭ならぬ、ここは本物の'墓場へと向かう道'。この賑わいからは想像がつかないけれど、江戸時代、法善寺からなんばグランド花月までの千日前エリアは、広大な墓地だった。
明治に入ってこの墓地街が阿倍野へ移転すると、跡地は広大な空き地になった。受け継いだのは、葬儀などの儀式から発展した、墓地発の芸能文化の数々である。道頓堀裏手の墓地跡は、法善寺と火葬場をつなぐ千日前通りを中心に、寄席や見世物小屋が立ち並び、一帯は墓地街から'芸能と娯楽の街'へと様変わりした。

 

現在ここは、道頓堀から少しエリアを広げた劇場型メディアの激戦区。江戸時代の道頓堀からタイムスリップした気分でここに立ち寄ったのは、「国立文楽劇場」へと向かう道中にすぎなかったが、なんばグランド花月の前にさしかかったところで、ふとあることに気づいた。

 

ここには芝居文化の未来が展開されている――。

 

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千日前にある大正8年創業の波屋書房。立地柄、演芸関係や大阪の文学・散策ものの本が充実している。馬車の上で本を読む絵柄のブックカバーは、この書店の経営者だった人気画家・宇崎純一(すみかず)の作。

 

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 なんばグランド花月。この日の客引きは、吉本新喜劇で人気のすち子の着ぐるみ(しゃべる!)。

 

 

歴代の劇場文学最前線


この一年で最も多くの売り上げを誇り、去年2015年に芸能や出版界で大きな話題をさらった書籍が、吉本興業所属の芸人又吉直樹による小説『火花』(芥川賞も受賞)である。
日頃から漫才のネタを書いていたり、話芸に秀でた芸人が、本を書いてヒット作を生み出す現象はもはや珍しくはなくなった。

 

千日前の劇場内に本社を置く吉本興業に対して、道頓堀の劇場内に本社を置く松竹芸能。両者はこの界隈に縄張りを張るライバルとして互いに独自の地位を築いてきたが、このような構図は今にはじまったことではない。この街では昔から、役者や漫才師ら語り手たち、さらには裏で舞台の人気を左右する書き手たちが、熾烈なバトルを繰り広げてきた。

 

竹本座vs.豊竹座――

 

まず、道頓堀芝居街で起きた顕著な例が、江戸時代初期の浄瑠璃専門劇場同士のバトルだろう。
近松門左衛門を座付作者(劇場専属の脚本家)に、オリジナルの脚本で興行を次々と成功させていった竹本座に対して、竹本義太夫の弟子・豊竹若太夫が道頓堀に新たに立ち上げたのが、浄瑠璃の専門劇場として竹本座と人気を二分することになる豊竹座だった。

 

近松門左衛門vs. 紀海音――

 

そこで、近松に対抗できる人材として期待され、豊竹座の座付作者に迎えられたのが、紀海音(きのかいおん)だった。彼は大坂で菓子商を営みながら俳諧師として活躍する父と、江戸時代初期を代表する狂歌師(狂歌は滑稽な内容を読み込んだ和歌の一ジャンル)の兄を持つ。
彼の登場により、竹本座の近松と豊竹座の紀海音は、浄瑠璃作家として新作の脚本を競い合い、近松の代表作となる江戸時代初期の文学界を代表する数々の作品が、この2人が競い合う期間に誕生することになった。

 

名作の生まれる背景に、強力なライバルの存在あり。
しかし、流行の最先端にあるこの場所で、長く人気を維持するのは難しい。近松と紀海音の時代が過ぎ去り、浄瑠璃人気が下火になるにつれ、江戸時代中期から新たに勢いをつけてきたのが歌舞伎だった。

 

浄瑠璃vs. 歌舞伎――

 

それまで、複雑な筋の展開や人間性を描いた浄瑠璃の文学性が、書籍化への展開を促進し、近松ら後世に残る書き手たちを生み出してきた一方、歌舞伎はそれまで役者ありきで、浄瑠璃と比べて脚本力で劣っていた。それがここにきて、近松らの浄瑠璃作品を歌舞伎の脚本に転用し、歌舞伎に演劇的なストーリー展開が積極的に取り入れられるようになっていく。

 

そこで、浄瑠璃作家に代わる書き手として、新たな最前線に躍り出ることになったのが、歌舞伎の狂言作者(歌舞伎の脚本家で、歌舞伎作者ともいう)だった。
浄瑠璃から歌舞伎へと、時代の転換期を迎える江戸時代中期を代表する狂言作者が、並木正三。生まれ育ちはなんと道頓堀の芝居茶屋という、根っからの道頓堀っ子である彼は、幼少時から芝居の楽屋に出入りして芝居に親しみ、早くも19歳で狂言作者に。
しばらくして、紀海音亡き後の豊竹座に入り、浄瑠璃作家として活躍していた並木宗輔の門弟として、浄瑠璃の脚本を学びはじめた。これが作家兼プロデューサーとして大躍進する契機となる。

 

並木宗輔の死によって浄瑠璃作家から再び狂言作者に転身した彼は、歌舞伎の脚本に浄瑠璃の良さを取り入れつつ、角の芝居(角座)で歌舞伎界初の「回り舞台」を取り入れるなど、大がかりな舞台装置を用いたスケールの大きな演出を次々と考案。歌舞伎人気を不動のものとした。

 

しかし、これまで自然と人材が集まり、長らく芝居文化の最先端を更新し続けてきた道頓堀にも、容赦なく時代の荒波が訪れる。

 

大坂vs. 江戸――

 

並木正三の門下・並木五瓶は、正三亡き後、狂言作者として道頓堀の第一線で活躍していたが、47歳にして、歌舞伎人気が高まっていた江戸に移住。上方の作風を江戸に持ち込み、江戸の歌舞伎界で成功を収めた。
それから10年、歌舞伎界は江戸時代末の文化・文政期(1804?1830年)を中心とした江戸歌舞伎の時代へと突入し、江戸で浮世絵(役者絵)が人気を博す。その流行は、少し遅れて道頓堀にももたらされた。

 

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 道頓堀で自作の絵を路上販売する男性。

 

こうして芝居文化の中心は江戸に移ったように思われたが――。

 

 

3冊の記録的ベストセラー


道頓堀の芝居文化は、近松門左衛門の時代で幕を下ろしたわけではない。
今もこの界隈を歩き回ると、歌舞伎や映画などの東京を発信源とした配信・巡回型の劇場が点在する一方、漫才や落語など、この地を本拠点に全国へと文化を発信している様々なタイプの劇場がそこかしこに存在している。ここは今も変わらず劇場型メディアの発信基地であり、日々熾烈なバトルを繰り広げながら、文化の最先端を更新し続けている。

 

その筆頭格が吉本興業。「吉本村」と化した劇場や関連施設が一ヵ所に寄り集まった千日前に足を踏み入れると、瞬時に頭に浮かんだのが以下の3冊だった。
松本人志のエッセイ『遺書』、田村裕の自伝『ホームレス中学生』、そして又吉直樹の小説『火花』。

 

多くの人がタイトルくらいは耳にしたことがあるだろう。この3冊に共通するのは、お笑いタレント・落語家・漫才師・脚本家ら、広く舞台出身の著名人が書いた書籍の中で、4位以下を大きく引き離すダントツの売上記録を保持しているということだ。

 

他にもベストセラーになった'芸人本'は数多くあれど、この3冊はいずれも発行部数が200万部(!)を大きく超える。年間ランキングやらタレント本やらの枠にとどまらず、日本歴代の書籍売上ランキングでも上位30位以内には入る、マンモスヒット作なのだ。

 

加えてこの3冊の共通点、それが3人の著者がいずれも、大阪からキャリアをスタートさせた吉本興業所属の芸人(いずれもコンビを組んで舞台で芸を披露する漫才師)であることだ。
出版の中心地が東京にある中で、吉本興業はストーリーを創作できる語り手(それはすなわち優れた書き手)を大勢抱え、その豊富な人材を強みに、定期的に話題本を生み出し続ける数少ないヒットメーカーなのである。

 

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なんばグランド花月の土産物コーナー内にある本売り場。大きく「お笑いネタ満載の本&DVD・CDあり?」。吉本興行はコンテンツ事業としてヨシモトブックスという出版レーベルを持ち、このレーベルからも多数のヒット作を生んでいる。

 

 

歌舞伎役者からアイドルへ


文化の最先端がある場所には、自ずと活字メディアがついてくる。
なんばグランド花月の向かいには、今年3月までジュンク堂書店千日前店としてお馴染みだったビルがある。ここは出版取次の大阪屋と手を組み全国展開していったジュンク堂書店の大阪一号店で、全国に先駆け、店内での「座り読み」サービスを取り入れた店舗としても知られている。
この大型店の閉店は、このままいけば今年2016年の大阪出版界のビッグニュースの一つに入るだろう(閉店の理由は近くのジュンク堂書店難波店との一本化と噂される)。

 

同じく'本のスポット'として、ここYES・NAMBAビルの7階にあるのは、大阪府立上方演芸資料館「ワッハ上方」。上方演芸と喜劇に関する約6万点の書籍と資料が収蔵され、自由に閲覧することができる。

 

そんなYES・NAMBAビルの前には頻繁に、派手なうちわを手に会場待ちをする人たちの姿が現れる。お笑いの激戦区でありながら、明らかに吉本の芸人さんのファンではない。
このビルの地下(旧baseよしもと)に2011年の元旦、新たなタイプの劇場が加わったのだ。アイドルの専門劇場――日本のアイドル界のトップを走るNMB48の本拠地「NMB48劇場」である。

 

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NMB48劇場の地下へのゲート。

 

 

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大阪の新劇場街・千日前。シャッターに描かれた地図が分かりやすい。

 

 

グループの一番人気は、年末の紅白歌合戦でギターを手にセンターでNHK朝の連続ドラマ「あさが来た」の主題歌を歌った山本彩。
自らネタをつくり舞台に立つことから活字との相性がよい吉本の芸人たちに対して、作詞家秋元康がプロデュースした楽曲で舞台の上で歌って踊る彼女たちの出版展開は、まさしく歌舞伎的だ。

 

アイドルにとって写真集の売上は、人気のバロメーターの一つといえる。
アイドル戦国時代、且つ写真集が売れないこの時代において、山本彩の写真集の売上は驚異的だ。一作目二作目と、立て続けに発行部数10万部を突破し、二作目の写真集『SY』は、2015年の年間売上ランキング(オリコン集計)の写真集部門で第3位を記録した。

 

続く今年2016年に刊行された三作目の写真集は、斬新な企画で話題を呼んでいる。
タイトルは『みんなの山本彩』。3週間限定で、街で見かけた彼女を誰でも自由に撮影することが出来、それらの応募写真を写真集に収録。つまりファンたちみんなでつくった、プロのカメラマン不在の写真集なのだ。

 

発行は前作に続き、精力的に出版活動を展開するヨシモトブックス。吉本興業の出版レーベルである。

ひいきの劇場や歌舞伎役者を、裕福な大坂商人たちから成るひいき連が支えていた(さらには出版物の刊行まで主導していた)江戸時代。
そして、グループや推しメン(「イチ推しのメンバー」の略)を、ファンたちが劇場に通いCDや写真集などを購入することで支える、劇場型アイドルビジネスの最前線。
その情勢は、テレビや出版などのマルチメディアを巻き込みながら、今も刻々と変化している。

 

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江戸時代の劇場近くに芝居茶屋や芝居関連本を扱う本屋があったように、NMB48劇場の近くなんばグランド花月の建物内には「AKB48CAFE&SHOP」(なぜかNMB48ではなくAKB48)がある。

 

 

参考文献
秋山虔・三好行雄編著『原色シグマ 新日本文学史』(文英堂)2014
中沢新一『大阪アースダイバー』(講談社)2012
吉本興業株式会社HP
http://www.yoshimoto.co.jp/
「歌舞伎公式総合サイト 歌舞伎美人」
http://www.kabuki-bito.jp/special/kabuki_column/todaysword/post_142.html
栗本智代『カリスマ案内人と行く 大阪まち歩き』(創元社)2013

 

プロフィール

鈴木 遥(すずき・はるか)

ノンフィクション作家。1983年生まれ。神奈川県平塚市出身、大阪市在住。
学生時代、全都道府県120地域以上の古い町並みをまわり、京都、奈良を中心にさまざまな町並み保存活動や建築物の記録活動に携わる。出版社勤務を経てフリーランスに。
電信柱の突き出た不思議な家と97歳ミドリさんの秘密を追ったデビュー作
『ミドリさんとカラクリ屋敷』が第8回開高鍵ノンフィクション賞の次点に。
今年5月に文庫版(
http://www.amazon.co.jp/dp/4087453200)が集英社文庫より刊行された。
共著『次の本へ』。ブログ
http://karakuri-h.seesaa.net/

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