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本読みのための 大阪まちある記 〜活字メディア探訪

第9回 芝居と出版のメディアミックス(3) 近松作品を生んだ浄瑠璃劇場

この世の名残、夜も名残。
死にゆく身をたとふれば、あだしが原の道の霜。
一足づつに消えて行く。

(この世に別れを告げることになり、夜も今夜限り。
こうして死にに行く身をたとえるならば、墓場の道の霜が、
一足踏むごとに消えていくようなもの......。)

 

恋仲のお初と徳兵衛は、心中を決意し、曾根崎(そねざき)は露天神社の森へと向かう。
出だしからぐいと引き込まれるこの作品の名は、『曾根崎心中』。江戸時代初期に実際に起きた心中事件をもとに、事件からわずか一ヵ月後には、近松門左衛門の手により人形浄瑠璃の舞台となって、道頓堀の劇場で繰り返し上演された。

 

それから300年の月日が流れ――。
JR大阪駅から阪急百貨店を抜け出ると、お初の顔をかたどった巨大なハリボテ看板が、喧騒の中、強い存在感で客を商店街へといざなっている。
人でごった返した「お初天神通り商店街」のアーケードを曽根崎方面へと進んでいくと、お初と徳兵衛が心中した露天神社に辿り着く。今や露天神社は別名お初天神と称され、「恋の手本」とたたえられたこの2人をシンボルに、恋愛成就の地と化している。

 

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 2人が辿った墓場への道は、繁華街へと変貌を遂げた。

 

大阪に住みはじめて、この商店街を繰り返し通過しているうちに、『曾根崎心中』という作品の存在は、誰に教わったでもなく自然と頭の中に刷り込まれていた。

 

とうの昔に忘れ去られてしまったはずの事件にも関わらず、もはや街の至るところに?作品を浸透させる装置?が組み込まれ、奇跡に近い長期的な展開を見せている。
私が強く興味を惹かれるのは、物語を最初に広く拡散させたのが、まだテレビも新聞もインターネットもない、江戸時代初期の大坂のメディアだったということだ。

 

この大規模なメディア展開は、どのようにして成し得たのだろう。
その答えを求めて、向かうは再び道頓堀である。

 

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仕事の休憩や観光客で賑わう露天神社。
お初と徳兵衛の銅像や巨大絵馬なども置かれている。

 

 

道頓堀が生んだ浄瑠璃作家


江戸時代初期の道頓堀は、通りに劇場(芝居小屋)が連なり競合ひしめく芝居街。大坂に蔵屋敷が建ち並びはじめ、町が活気づくのと比例して、芝居を楽しむ町人たちの数は著しく増えていった。

 

そんな中、人々のニーズを汲むように次々と出版されるようになったのが、足しげく道頓堀に通う芝居通の町人や学者、俳諧師たちを書き手にした芝居評判記である。その例に漏れず芝居通だった井原西鶴も、天和3年(1683)に洒落たタイトルの役者評判記『難波の顔は伊勢の白粉(おしろい)』を書いて、この新ジャンルに勢いをつけた。

 

しかし、道頓堀を賑わせていたのは、何も歌舞伎ばかりではない。
西鶴が役者評判記を出版した翌年、道頓堀の情勢を大きくくつがえす新たな劇場が誕生した。道頓堀の二大演劇の一つとして、その後歌舞伎と人気を二分することになる人形浄瑠璃の専門劇場「竹本座」である。

 

竹本座を立ち上げたのは、浄瑠璃の大夫(語り手)である竹本義太夫。人形浄瑠璃(以下浄瑠璃)というのは、人形遣い、三味線弾き、語り手の大夫(たゆう)が一体となり、三味線音楽(浄瑠璃)に合わせて物語を進行させる人形芝居のことだ。稽古の過程で脚本が書き換えられていく歌舞伎と違って、作家の書いた脚本が舞台に大きく反映される浄瑠璃では、作品の持つ力が舞台の成功を左右する。

 

そこで、才能を見込まれて竹本座の座付作者(劇場専属の脚本家)として迎えられたのが、当時32、33歳の近松門左衛門だった。

 

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竹本座跡。向かいに見えるカールおじさんの看板には、あっと驚く仕掛けが施されている。

 

近松の大坂(道頓堀)行きは、今であれば脚本家の卵が与えられたチャンスをものにするため、上京するのと似ているかもしれない。
彼の生まれは越前藩(福井県)。19歳のときに京都に移住し、浄瑠璃の大夫・宇治加賀掾(うじかがのじょう)による嘉太夫節が人気を博していた芸能の先進地京都で、浄瑠璃作家を夢見るようになった。

 

25歳のとき、嘉太夫節の宇治加賀掾に弟子入りし、脚本書きの修行を開始する。当時の京都は俳諧であれば松永貞徳による貞門俳諧、京都に古くから伝わる文学作品も多数出版されて、それが近松の作品性を育んだ。
33歳のとき、竹本座で最初の脚本『出世景清(しゅっせかげきよ)』を書いて、近松の作品と竹本義太夫の語り(義太夫節)のコンビは瞬く間に大坂町人の心をつかんだ。それ以降、書く作品、書く作品、ヒットを飛ばした。

 

一方、竹本義太夫の義太夫節も、京都の嘉太夫節や江戸の金平節の人気を塗り替え、浄瑠璃界の頂点に立った。それ以降、これまでの嘉太夫節や金平節などは<古浄瑠璃>、義太夫節以後の浄瑠璃は<新浄瑠璃>と呼ばれて、竹本座は京都・大坂・江戸を中心とした芝居界の最前線を走り抜けていくのだ。

 

それにしても、近松のバイタリティは並大抵のものではない。33歳から70歳すぎまで35年以上もの間第一線で活躍し続け、100編近い浄瑠璃作品――当時実際に起きた事件などを題材にした<世話物>と、歴史上の事件や物語を題材にした<時代物>に分けられる――を書き下ろしている。

 

歳をとっても衰え知らずで、代表作の『曾根崎心中』は50歳、『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』は62歳のときの作品である。これらを書いた頃にはすでに、同じ時代を生きた井原西鶴もこの世にはいない。

 

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 解説板に刷られた江戸時代の絵図。手前が戎橋、竹本座の右隣が現在のTSUTAYA書店。

 

 

道頓堀から生まれた出版文化


さて、これだけの浄瑠璃人気を出版界が放っておくはずがない。
浄瑠璃は舞台の初演と同時に必ず丸本(浄瑠璃の脚本)が刊行されて、舞台観賞だけでなく、読み物としての人気も博すようになった。つまり、舞台を観ずに文字で浄瑠璃を楽しむ新たなファン層を獲得し、語りの文芸だった芝居の裾野を広げたのだ。

 

とりわけ人気の高かった近松の丸本は、正本屋山本九兵衛など、浄瑠璃本を専門とする大坂の出版社から数多く出版された。
丸本に正本(しょうほん)。ややこしいので違いを明確にしておくと、義太夫節の一曲全部を収めた浄瑠璃の脚本のことを丸本(全段を「丸ごと収めた本」という意味)といい、同じ浄瑠璃の脚本でも、義太夫節以外の浄瑠璃の脚本は正本といった。

 

元々、浄瑠璃本(丸本、正本)の出版を主導していたのは、京都である。文化が成熟した京都に対して、大坂は京都に人口が迫り、さらに追い抜こうとする経済の発展期。大坂の町人たちが新たな流行を生みだしていく中で、出版のベテラン京都の版元が虎視眈々とまだ手の付けられていない土俵を狙うのは自然な流れだ。

 

近松本を数多く出版した大坂の正本屋山本九兵衛もまた、突き詰めれば大坂の出版社というよりは、京都で浄瑠璃本を出版していた山本九兵衛の大坂店というのが実態だった。近松が京都からこの時期大坂に来たように、新たな文化の発信地として台頭してきた大坂に目をつけ、京都から進出した(もしくは京都にありながら大坂ネタや著者を扱う)出版社はそれなりの数にのぼったようだ。

 

こうして近松本は大坂や京都だけでなく、江戸でも江戸版が出版されて、近松門左衛門は瞬く間に、三都で名の知られた売れっ子浄瑠璃作家になった。今でも本屋に行けば、様々な種類の近松の作品選集が売られているから、時代を越えて支持されているその人気と実力は格違いのものがある。

 

歌舞伎が役者絵という出版文化を生んだならば、浄瑠璃から生まれた最も顕著な――それも大阪が京都や江戸よりリードした――出版文化は、竹本座の近松門左衛門に代表される浄瑠璃本ということになるだろう。(後編につづく)

 

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 TSUTAYA書店の左端にひっそりと立つ「竹本座跡」の碑。
人物画は晩年の近松門左衛門。

 

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TSUTAYA書店を越えた先に立つ松竹座。大正12年に建てられた日本初の洋式劇場で、当初は外国映画を上映していた。現在は歌舞伎やミュージカルなどを上映する劇場へとリニューアルされている。

 

 

参考文献
秋山虔・三好行雄編著『原色シグマ 新日本文学史』(文英堂)2014
大石学監修・西本鶏介文『近松門左衛門 上方の人情をえがいた浄瑠璃作家』(ミネルヴァ書房)2013
国立文楽劇場パンフレット「文楽入門」
鈴木敏夫『江戸の本屋(上)』(中公新書)昭和55年
今田洋三『江戸の本屋さん 近世文化史の側面』(NHK出版)昭和52年


 

プロフィール

鈴木 遥(すずき・はるか)

ノンフィクション作家。1983年生まれ。神奈川県平塚市出身、大阪市在住。
学生時代、全都道府県120地域以上の古い町並みをまわり、京都、奈良を中心にさまざまな町並み保存活動や建築物の記録活動に携わる。出版社勤務を経てフリーランスに。
電信柱の突き出た不思議な家と97歳ミドリさんの秘密を追ったデビュー作
『ミドリさんとカラクリ屋敷』が第8回開高鍵ノンフィクション賞の次点に。
今年5月に文庫版(
http://www.amazon.co.jp/dp/4087453200)が集英社文庫より刊行された。
共著『次の本へ』。ブログ
http://karakuri-h.seesaa.net/

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