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本読みのための 大阪まちある記 〜活字メディア探訪

第7回 芝居と出版のメディアミックス(1) 歌舞伎スターを描いた道頓堀の浮世絵文化(前編)

江戸時代の道頓堀(どうとんぼり)川――。人気役者たちの姿を一目見ようと、船のまわりには大勢の人が詰めかけていた。
陸や橋の上は身動きがとれないほどの人の群れ、水上はひいき連中らの乗った連中船、大阪で余っている船を総動員させての見物船などで埋め尽くされて、陸も川も橋の上も、どこもかしこも大賑わい。

 

その群衆の中には役者絵が専門の絵師たち、その絵を依頼している出版社の人、芝居好きが高じて役者の評判を文章でしたためるまでになった裕福な商人や俳諧師たち......。様々な立場から、芝居にたずさわっている人たちの姿があった。

 

熱烈な町人たちが芝居文化を支えていた大阪には、「船乗り込み」という一風変わった習慣がある。江戸や京都から帰阪した役者たちが芝居興行を前にして、東横堀川から船に乗り込み、道頓堀の芝居に入る、盛大なお披露目イベントだ。

 

東横堀川から北へ向かえば蔵屋敷群、南へ向かえば道頓堀の芝居街。九之助(くのすけ)橋を出航した一行は、東横堀川から3つの橋をくぐり抜け、L字にカーブした先の道頓堀川へと船を進める。阪神タイガースが優勝すると、興奮さめやらぬ人々が次々と川に飛び込む光景でお馴染みの、あの道頓堀川である。

 

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このカーブを曲がりきったところからが道頓堀川。

 

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砂船(土砂採取船)が私と歩を合わせるように走行していく。

 

 

船を泊めたその背後には、南岸にずらりと立ち並んだ芝居茶屋。正装した役者たちは皆の注目を一身に浴びて、大きな提灯がずらりと吊るされた船上で、舞台さながら膝をついて深々と挨拶をする――。
その様子が絵師の手で見事に描写され、そこに役者の挨拶文やひいきからの評価といった讃(さん)が加えられて、しばらくすると彫師や摺(すり)師の手を経た役者絵(役者を描いた浮世絵)が、大阪の本屋の店頭に並ぶのである。

 

まるで週刊誌――これを現在に置き換えてみても、出版社から依頼を受けたライターやカメラマンが、船乗り込みの取材に出向いて記事を書くことに何ら違和感はない(実際、船乗り込みは毎年ニュースになっている)。
芝居興行に合わせて出版社から版行される役者絵は、ブロマイドの役割だけでなく、立派に報道の役割も果たしていたのだ。

 

大阪の地で、最先端の文化を発信してきた二大メディアの芝居と出版。それを出版側から眺めるならば、大阪の出版界にとって道頓堀は、商売ネタの宝庫だったに違いない。
道頓堀が'日本一の芝居街'だった江戸時代、両者はどのように関わり合っていたのだろうか。

 

 

大阪ミナミの繁華街、道頓堀へ


道頓堀の歩行者天国に立ち入れば、目に飛び込んでくるのは、かに道楽の「巨大なカニ看板」にチンドン屋の「くいだおれ太郎」、リニューアルされた「6代目グリコの看板」......。コテコテな大阪のイメージを全国にふりまいているその根源は、この道頓堀にあるといっても過言ではない。

 

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かつてこの通りには、「○○座」(江戸時代までは「○○の芝居」)と名の付く劇場(いわゆる芝居小屋)が軒を連ね、それぞれの劇場の前には招き看板や幟が立ち並んでいた。劇場や芝居茶屋から飲食店へと入れ替わった店先の「ハリボテ立体看板」の数々を見ていると、芝居の派手な宣伝手法が今に立派に引き継がれているように思えてならない。

 

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金龍ラーメンの龍。立体造形看板が専門のポップ工芸の作品だ。

 

それら芝居の絵看板や芝居番付(いわゆるポスターやカタログのようなもの)といった宣伝物の制作を担っていたのが、道頓堀界隈で暮らしていた絵師たちだった。彼ら絵師にとって(そして芝居好きなら誰しも)、道頓堀のいわば聖地といえる存在が、「角(かど)の芝居」と「中(なか)の芝居」――のちに角座と中座に名を改める、江戸時代の道頓堀を代表する歌舞伎の2大劇場である。

 

それは芝居関連の出版物を精力的に出していた大阪の出版関係者らにとっても同様だ。なぜなら上方(京都と大阪)の浮世絵は、江戸の浮世絵が風景画や美人画を多く遺したのに対して、歌舞伎役者を描いた役者絵が大多数を占めていた(そのため、江戸の浮世絵を江戸絵と呼ぶのに対して、上方の浮世絵は上方絵や上方役者絵と呼ばれていた)。
その中で商売上、人気の役者ほどたくさん描かれるのは当然の成り行きだ。大阪で版行された役者絵のうち最も多く描かれたのが、角座と中座の2つの劇場を舞台に演じるスター役者たちだった。

 

芝居興行に合わせて出版社が企画を立てて、依頼を受けた絵師が芝居を取材する。ここまでは江戸や京都でも同じだが、ここで大阪ならではの際立った特徴といえるのが、芝居絵の版行にひいき(後援者)が大きく関わっていることだった。

 

大阪では、商売の中心地・船場界隈の裕福な芝居好き商人らが中心になって、○○連と名の付くいくつものひいき連を結成し、スポンサーのようなかたちで興行を支えていた。
道頓堀まで足しげく通って芝居を楽しんでいた彼らひいきは、冒頭の船乗り込みでは役者を間近に見ようと船を出し、役者番付では興行者に代わって制作を主導し、興行ばかりか出版社に資金援助することで、役者絵の中にお目当ての役者と一緒に入り込む......。さらには出版社に企画を持ち込み、役者絵や役者関連本を私家版のようなかたちで制作・出版することもあった。

 

そもそも、版元や絵師やひいきといった線引き自体が曖昧なのだ。例えば、芝居好きな本屋(出版社)がひいき連を結成していた事例もあれば、絵ひとつとっても、役者絵を版行する出版社の人間が絵師を兼業することもあり(自分で描いて自分で出版)、様々な商売を営む○○屋の主人が絵師を兼業することも珍しくなかった。それらが商品として本屋に並ぶことで、絵師の中にも売れっ子が誕生し、人気は淘汰されていったのだろう。

 

役者絵はファンが買い求めるだけでなく、大阪土産としての需要も高く、こうして道頓堀界隈には、専門の出版社がいくつも現れるようになっていった。(次回につづく)

 

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 歌舞伎劇場の角座跡地。現在は松竹芸能が「DAIHATSU MOVE 道頓堀角座」として角座の名を引き継いでいる。

 

 

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 中座の名を受け継いだ中座くいだおれビル。くいだおれ人形を招き看板に、飲食店や土産物屋などが集まる商業ビルになっている。

 

 

参考文献
松平進『上方浮世絵の再発見』(講談社)1999
大阪市立住まいのミュージアム編『上方役者絵の世界―芝居都市・大坂―』(大阪市立住まいのミュージアム)2001
松平進『上方浮世絵の世界』(和泉書院)2000

 

プロフィール

鈴木 遥(すずき・はるか)

ノンフィクション作家。1983年生まれ。神奈川県平塚市出身、大阪市在住。
学生時代、全都道府県120地域以上の古い町並みをまわり、京都、奈良を中心にさまざまな町並み保存活動や建築物の記録活動に携わる。出版社勤務を経てフリーランスに。
電信柱の突き出た不思議な家と97歳ミドリさんの秘密を追ったデビュー作
『ミドリさんとカラクリ屋敷』が第8回開高鍵ノンフィクション賞の次点に。
今年5月に文庫版(
http://www.amazon.co.jp/dp/4087453200)が集英社文庫より刊行された。
共著『次の本へ』。ブログ
http://karakuri-h.seesaa.net/

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