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映画パブリシスト岸野令子のシネマ・カフェ「ニチボーとケンチャナヨ」

ニチボーとケンチャナヨ 韓国その1

韓国 その1

 2017年、韓国の新大統領にムン・ジェイン(文在寅)さんが就任しました。

金大中、盧武鉉に続く民主派の大統領は9年ぶりです。

 1988年のソウルオリンピックの頃より、韓国の民主化は徐々に進み、軍事政権から変わってきました。

私が初めてソウルに行ったのは1991年です。

地下鉄に乗ると「スパイに注意」というポスターが貼ってありました。 この時は一般の観光ツアーでした。


 2回目は1993年、映画の好きなグループでツアーを組んで行きました。

ちょうど「風の丘を越えて」(西便制/ソピョンジェ)が国民的なヒットをしていました。

団成社(ダンソンサ)という戦前から営業している由緒ある映画館で満員の観客のすすり泣きとともに見たのが、私の韓国での映画初体験でした。

この時の様子は読売新聞に書かせてもらいました。


 日本における韓国映画の公開は1980年代まではほとんど限られていて、韓国文化院の16ミリ上映(「糸車よ糸車よ」など)とか自主上映(「風吹く良き日」など)だったと思います。

アジア映画社が「鯨とり」「青春スケッチ」で本格的に劇場公開を始めたのが1988年でした。

その後、「シバジ」「達磨はなぜ東へ行ったのか」「旅人は休まない」などヨーロッパの映画祭で受賞した作品を中心に公開されるようになり、90年代に「韓国映画の全貌」が東京・三百人劇場で開催され、それに呼応して1994年「大阪韓国映画祭」が開かれたのです。

この時、私は映画祭事務局を引き受けたのが本格的な韓国映画との付き合いになりました。


 この映画祭で劇場公開作と非劇場上映作合わせて45本という作品が取り上げられたのです。

「我らの歪んだ英雄」が世界三十数か国の映画祭に招待という、当時いちばん注目されていた作品の監督、パク・ジョンウォン(朴鐘元)さんをゲストに招いて、映画批評家の佐藤忠男さんとトークをしてもらいました。

この来阪の様子はNHK大阪が取材しTV番組になっています(アーカイブにあるかしら)。

 パク監督を招くため、招待状を持って、ソウル郊外の南楊州に建設中のソウル総合撮影所まで訪ねたのが3回目の訪韓でした。

(現在は南楊州総合撮影所として観光地にもなっています http://www.seoulnavi.com/miru/242/ )


 この時、パク監督が撮影していたのは「永遠なる帝国」で、後年、アジア映画社と共同配給することになりました。

撮影ルポを読売新聞に書かせてもらいました。

 「永遠なる帝国」は、今ならもっとヒットしたでしょう。 TVドラマ「イサン」と同じ、李朝の正祖を主人公にした歴史ミステリーです。

正祖にはアン・ソンギ、実在の学者チョン・ヤギョンにキム・ミョンゴン、フィクションの人物で狂言回しのインモンに新人だったチョ・ジェヒョン、その妻にキム・ヘスという豪華キャスト。

保守と進歩派の抗争による殺人事件と秘密文書の行方というストーリーで、韓国の政治的状況を想起させるものです。

原作がベストセラーだったのに韓国でもヒットしませんでした。


 パク・ジョンウォン監督は国立芸術アカデミーの第1期生で最優秀、将来を嘱望される監督でした。

最初の長編は「九老アリラン」で、縫製工場で働く女子工員たちが劣悪な条件に抗してストライキを行うという内容は、韓国の民主化抜きには描けなかったでしょう。

それでも検閲でカットされたと聞きます。


 1990年代を牽引した立役者の一人ですが、今は映画を作っていません。

本当に残念です。ベテランを大事にしない韓国の映画界の問題の一つです。


 韓国映画祭の開催、韓国映画の配給と、どんどん韓国映画との付き合いが深まります。

そして決定的な出来事がありました。

 ドイツ(当時は西ドイツ)のオーバーハウゼン国際映画祭は短編映画の国際映画祭として名高い老舗の映画祭です。

たまたまそこのディレクターが日本に来た時、お話しする機会があり、彼女がオーバーハウゼン国際映画祭に招いてくれたのです。

1996年のことです。


 全く西も東もわからない不安なままオーバーハウゼンに行きました。

そこで偶然出会ったのが、スタートしたばかりの釜山国際映画祭の外国映画プログラマーのジェイ・ジョンさんでした。

ホテルが一緒だったので話をするようになりました。

彼は「興味があるなら、来年の釜山国際映画祭に招待する」と言って下さったのです。

「もちろんです。行きます!」

私は思わず声を上げたと思います。

こうして1997年第2回釜山国際映画祭に参加することになったのです。


 またまた初めての釜山に右往左往しながらも楽しい1週間を過ごしたことが、毎年の釜山詣での始まりでした。  

この年の釜山国際映画祭にはアッバス・キアロスタミ監督、北野武監督、キム・ギヨン監督、黄健新監督、クリストファー・ドイル撮影監督らがゲストで来ていました。

韓国映画人のオススメはイ・チャンドン監督「グリーン・フィッシュ」、主演のハン・ソッキュはこの年「ナンバースリー」「接続」とこれの3作が出品され売れっ子でした。


 釜山国際映画祭は南浦洞と海雲台の2箇所の会場に分かれていましたが、当初は南浦洞がメインでした。

私のホテルは、会場から少し離れたコモドホテルなので、行きはシャトルバス、帰りはタクシーです。

初めてタクシー相乗りを経験しました。

言葉もほとんどわからないのに大胆にも「コモドホテル」と叫んで頷いてくれたタクシーに乗り込みました。

同じ方向に行く乗客が相乗りして降りる時1000ウォンずつ払います。

結局この方がタクシーの運転手は儲かるのです。


 この時の報告(韓国映画ばかり20数本見ました)はシネフロント誌に書かせてもらいました。

今のように全部に英語字幕が付いていたわけではなく、字幕なしで、ハングルも皆目読めないのに必死で見ました。  

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