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著者に聞く!

『19歳の小学生』
著者・久郷ポンナレットさんに聞きました

普通に学校に通い、生活できる皆さんは、とても運の強い人。
でも時折、あたたかなまなざしで世界を見回して

まず『19歳の小学生』は、ひとことで言ってどんな本でしょうか? 著者のポンナレットさんから教えていただけますか。

平和があって、自由と権利があって、家族と暮らせて、衣食住があって、そして学ぶことができるのは、当たり前ではなく「それらは特別」であることを伝えるための本です。

 

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久郷ポンナレットさん(右)と娘の真輝さん

 

 

日本で生まれて育った私たちは、たしかにそれらを「当たり前」だと思って過ごしています。ポンナレットさんも、カンボジアでご家族と暮らしていた10歳まではきっと、そう思われていたのではないでしょうか。
しかしポンナレットさんは故郷のカンボジアで、突然それらを奪われてしまった。そのご自身のご経験を、本に書こうと思われたいきさつを教えてください。

1980年8月に難民として来日した私は「どちらのご出身?」と聞かれれば、当たり前ですけれど、「カンボジア出身です」と答えます。すると決まって、「あなたの国は戦争ばかりして、地雷がたくさんあってとても危険だわ。それに虐殺があって、難民が発生して貧困でしょう」と、とても悲惨な面ばかりに目を向けられてしまいます。
そのため、私は戦争で大切な両親ときょうだいの命を奪われたうえに、大好きな生まれ故郷を逃れる者の「隠しきれない悲しみ」を癒すために、そして皆さまにご理解を得るために活字にすることを決心したのです。

 

 

カンボジアでの10歳から14歳までの出来事については、本にくわしく書かれていますね。内戦が始まり、とてもつらいご経験をされておられますが、それでも前を向くポンナレットさんの姿に、読者は勇気づけられることと思います。
15歳で日本にいらして、また別のご苦労をされるわけですが、一番大変だったことは何ですか? また、楽しかったことは何ですか?

やはり日本語の習得ですね。難民定住促進センター(当時のインドシナ難民”カンボジア・ラオス・ベトナム”の受け入れ施設)ではじめて日本語に触れた時、助詞の「は・に・へ・を」がうまく活用できずにとても苦労しました。でも、クラスメート全員が外国人ということもあって、お互い劣等感を抱くことがありませんでしたが。何しろわずか3ヶ月の間に「ひらがな、カタカナ・小学校低学年までの漢字、そして、音読みと訓読みとその送り仮名」を習うのですから。全員の頭が混乱してしまい、ただただ笑うしかありませんでした。それでも毎日の日本語授業がとても新鮮で楽しかったです。

 

 

たった3ヶ月で。それは混乱しますよね。でも結果的に、本が書けるほどの日本語を身につけられたのですから、たいへんな努力をされたのだと思います。
それから16歳で小学校に行かれるわけですが、学校は、ポンナレットさんにとって、どのようなところでしたか?

私にとって学校とは知識を身に付けるのはもちろんのこと、人間が生きていくうえで必要なことばと読み書き、そして家族以外の人とのかかわり方を教えてくれる大切な場所です。母は小学校の教師であったため、戦争中に学校に行けなくなってしまった私たちきょうだいのことをとても心配していました。おそらく当時の母の見解としては、読み書きができなければ将来の自分に自信が持てず、視野の狭い人間になってしまうのではないかと、おそれていたのでしょう。私自身はそういう「母の背中を見て育った」ことによって、「いくつになっていようとも、ぜったいに学び直したい!」と頑なに心に誓いました。それに、もしも母が生きていたらきっと「そうした方がいいよ」と背中を押してくれるに違いありませんから。

 

 

『学校へ行けてよかった』というサブタイトルには、そういう思いがこめられているのですね。日本では不登校の子どもが増えていますので、とても新鮮に感じます。
ところで、とても明るく快活な印象のポンナレットさん。日々、どのようなことを心がけて過ごしていらっしゃいますか?

なるべく「笑顔」を絶やさないように心がけています。眉間にしわを寄せて過ごしていても笑顔で過ごしていても、”1日の長さはまったく同じ”ですから。おかげさまで、毎日を笑顔で過ごしているうちに「自分は特別に不幸な人間ではない」と思えるようになったのです。
そんなとき、日本の「笑う角には福来る」ということわざに出会った私は”まさにこれだ!”と膝を打ち、にんまりしたものです。そうして、今ではありとあらゆる問題に直面しても、所詮”些細なこと”とさらっとやり過ごす技を身につけることができました。

 

 

私も見習いたいです(笑)ポンナレットさんがおっしゃると、説得力があります。
さて、いまも世界では戦争が続いているところがあり、先日はパリでもテロが起きました。以前、ポンナレットさんから、「憎しみを取り払うには憎しみを持たないこと」というお言葉をお伺いしましたが、現在の世界や日本の情勢に関して、何か思うところがございましたらお聞かせください。

教育現場では「皆と(誰とも)仲良く」と、とてもよいことを教えています。にもかかわらず、今の世の中「目には目を、歯には歯を。やられたら、やり返す。」という、なんとも幼稚なことが起きています。
私はどちらの味方もしません。私はかけがえのない両親ときょうだい4人を失いましたが、一度たりとも”加害者たちに仕返ししたい”と思ったことはありません。きれい事ではなく、彼らと同じ過ちを繰り返したくないのです。それに、彼らに憎しみを持つことは莫大なエネルギー(精神力)が費やされかねません。”過去から学ぶべきことがたくさんある”と気づいたのです。おかげ様で今の私の精神状態は安定しており、とても安らかです。

 

 

これから『19歳の小学生』の読者となってくれる子どもたち、または大人の方に、なにかメッセージがありましたらお願いします。

「地球上に住む私たちの命はみな平等で尊い」。誰もが幸せで豊かな日々を送りたいと願っています。しかし、世界には戦争や貧困などで学校に行きたくても行けない子供たちが大勢います。毎日、普通に学校に通い生活できる環境におかれた皆さんは、とても運の強い人です。ですから今の恵まれた人生をどうか大切にして下さい。そして時折、あたたかなまなざしで世界を見回していただきたいと思います。

 

 

ポンナレットさんの今後の目標や、これからの夢などお聞かせください。

“真の世界平和”を夢みています。世界中の人々が肌の色や言語などの壁をなくして、
お互い警戒することなく「共存・共生」できる社会が実現されたらどんなにすてきなことでしょう。それによって、世界中が笑顔で満ちあふれるにちがいありません。皆さまもそう思いませんか? とりあえず、今すぐに鏡に向かって”にっこり”と微笑んでみましょう。

 

 

今日はどうもありがとうございました。

プロフィール

久郷ポンナレット(くごう・ぽんなれっと)

1964年、カンボジア、プノンペンに生まれる。
75年、ポル・ポト政権が始まり、両親・きょうだい4人を失う。
強制労働の生活でマラリアにかかるが、死の瀬戸際で一命をとりとめる。
79年、ポル・ポト政権崩壊。80年に来日。16歳で神奈川県の小学校に入学。
88年、日本人男性と結婚、一男一女をもうける。
現在は戦争体験の当事者として、各地で講演を行なっている。
著書に『虹色の空』(春秋社)がある。

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